この記事を読むのに必要な時間は約 7 分です。
- 引き寄せの法則と願望実現プログラムの違いを追加しました
- 地震や災害も引き寄せなの?を追加しました
- 能登半島地震、政府の対応に批判している人は引き寄せが起きないを追加しました
- 執着してもいい?を追加しました
[アイキャッチモデル: 茜さやさん]
スポンサードリンク
宗教くさくて何が悪い?
そもそもですが、引き寄せの宗教くさくて何か困ります?
引き寄せは引き寄せの法則ともよばれる通り「法則」です。万有引力の法則と同じようにこの宇宙すべてに働く力なわけです。宗教くさいからと敬遠したって、今この瞬間にも引き寄せの法則は働いています。
引き寄せという概念を受け入れてもいいということは、それだけで願望を達成できる可能性を持っているということです。
引き寄せの本質を理解して、ただただ願望に意識を向けてください。
ただ、100円拾ったとこかを大喜びしてSNSに書き込んでフォロワーからいいねたくさんもらって終わりとか、古い友人に会いたいと思っていた偶然駅であったとかそういったレベルで終わらないようにしましょう。
引き寄せは夢や目標を叶えるためのモノであってSNSなどを使って承認欲求をたかめるものではありません。
さらにいえば友人に話すと「宗教くさい」と引かれるのであれば、話す必要ありますか?
友人に引き寄せを理解してもらわないと、あなたの願望が叶わないなんてことはあるはずないです。
周りの意見に惑わされず、潜在意識と宇宙の真理を信頼して、コツコツと実践すればいいんです。
スポンサードリンク
そもそも宗教臭いっていうけど宗教って何?
今回引用したページに限ったとではありませんが、宗教くさいとかいうひとに「そもそも宗教って何?」って質問すると、ほぼ答える事ができないんです。
最近の日本人は宗教=怪しいものぐらいにしか思っていないわけです。
諸外国と日本では宗教に対する考え方が全く違います。
因みに諸外国の人に無宗教なんていうと、とんでもない扱いをうけることもあり得ますよ。
日本の場合は、宗教というか信仰と、道徳は別のものと考えられています。
しかし諸外国の場合は宗教というのは信仰と道徳が合わさったものになります。
因みに、道徳ってモラルともいいます。
僕自身は引き寄せの考え方というのはモラルや道徳の部類に少し信仰的な事が含まられさらに量子力学のような科学もまざっているとい考えています。
なので引き寄せを実践するというのは道徳や儒教でいうところの徳の高い人になるもしくは、徳を積むということなのだろうと思います。
こう書くと、確かに宗教臭いですね。
ただあなたに質問です。
徳を積んで幸せになることって怪しいことですか?
人として道徳的に正しいことをするのはわるいことですか?
自らを律して生きることはよくない事ですか?
ちょっと立ち止まって考えて見てはいかがでしょうか?
宗教を怪しくしているのは・・・ 2019.07.25 追記
宗教が怪しいものにしているのは、一部の新興宗教の団体のせいなんだと思います。
他にも特定の宗教を信仰している人を心の弱い人と見ているからかもしれません。
ただ僕が思うのは自分たちは宗教行事を楽しんでいて、何らかの宗教を強く進行している人を怪しいと見下すのは人としてどうなのでしょうか?
例えば、クリスマスはキリスト教の宗教行事です。
この追記をしている今の時期だと祇園祭だって宗教行事です。
初詣も宗教行事です。
ハロウィンも宗教行事です。
神社の夏祭り、盆踊り、秋祭り全部宗教行事です。
宗教を信仰している人を怪しいと見下しているあなたはこれらの行事には当然参加していないはずです。
だって宗教は怪しいのですから。
誰かが亡くなられた時、葬儀に参列したこともないはずです。
宗教は怪しいものです。
何が言いたいのかというと、宗教が怪しいと言っているあなたも実際のところ何故怪しいのかわかっていないという事です。
また同様に宗教を盲信している人も実際はこれで救われるという思いだけで自分で考えることはせずた言われた事をしているだけです。
つまるところ、どちらも自分で考える事をせず思考が停止しているだけに過ぎません。
何も考えないのが実は一番楽なことです。
例えば、主婦の方は毎日の献立を考えるのって面倒臭いと思います。
それに対して、ご主人の方が一緒になって作らないまでも、冷蔵庫の中にあるもので出来る献立を考える。
たったこれだけで奥さんの家事がぐんと楽になります。
食材を購入するという事も含めるのであれば、朝の出勤前に献立を考え奥さんに「今日は○○が食べたい」と伝えるだけでも奥さんの負担をかなり減らせます。
少し話がそれましたが、宗教とは一体何なのか?なぜ必要なのか?という事をあなたは考えたことがありますか?
スポンサードリンク
宗教が生まれた理由
もともと宗教は、人間にはどうにもならない事が起きたときにそれを説明するためにうまれたと言われています。
はるか昔の人にとっては、地震や雷、噴火、それに津波などの災害が何が原因で起きているのかわかりませんでした。
その理由として、きっと神様が怒っていると考えるようになりました。
さらに病気や日照り、干ばつなどの不作も、神様がお怒りになっているからではないかと言いどす人がでてきました。
そのうちに多くの人がそういうことを信じるようになります。
そういった事を避ける為に儀式を行い、神様に捧げものをして、豊作を祈願したり、雨乞いをしたり、病気を治してもらうよう祈ったり、願ったりしていたのが宗教です。
目に見えない大きな力に祈ることで、自分ではどうにもならない欲望や欲求を満たし貰いたい地う思い。
他にも、何故地球があるのだろうかや、人はどうやって生まれたというような疑問も、神が創ったということでみんな納得していました。
17世紀ごろまでは、それでもよかったのですが、その権威は失墜し始めました。
それは科学の発達です。