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- 理想の毎日を「現実」にする|行動を変え習慣を育てる方法を追加しました
- お金だけがうまくいかない人が今すぐ変わるパラレルシフト法を追加しました
- 叶ったつもりの行動を間違えると引き寄せが失敗する理由を追加しました
- 「嫌われてもいい」が引き寄せを加速させる理由とはを更新しました
- 氣とは何かを現実的に理解する
- 氣の作用や相互干渉の仕組みを知る
- 日常における氣の影響を感じる視点を持つ
- 自分の氣を責めず、受け止める考え方を学ぶ
氣という言葉を聞くと、どこか特別な力や神秘的な何かを想像するかもしれません。
ですが、僕が伝えたいのは、もっと身近で現実的な氣のはたらきです。
思考や感情は、ただ心の中にとどまるだけではなく、空間に残り、他人や出来事と影響し合います。
それが、偶然とも必然とも言いきれない不思議な現象を生むこともあります。
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氣とは何か
氣という言葉は様々に使われますが、ここでは僕自身の考えを基に整理していきます。
氣はどこからくるか
僕は、氣は自分の思考や感情がそのまま現れたものだと思っています。
目には見えませんが、確かに在ると感じられる現象です。
氣は自分だけで完結するものではなく、その場に残ることもあります。
ただし、常に作用し続けるわけではありません。
たとえば、事故が多い峠に負の氣が残っていることはある。
しかし、その場所に行っても全ての人に同じ影響が出るわけではなく、氣にならなければ何も起こらないこともあります。
逆に、知ってしまったことで無意識に「氣」にしてしまい、「ここは危ないかもしれない」と思った瞬間に作用が始まることがあります。
この感覚は理屈で整理しきれませんが、偶然とも必然とも言えない現象が起こるのを何度も見てきました。
良い氣も悪い氣も、そこに在るかどうか以上に「それを『氣』にしたときにどう作用するか」が大事だと思います。
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氣の大小・強弱と作用
同じ氣でも、強さや大きさには違いがあります。
多くの人が長い年月にわたって同じ思考や感情を向けていると、その氣は強く、濃く残ることがある。
ただし、残っているからといって、常に影響するものではありません。
氣は「意識したときだけ作用する」とも言えません。
むしろ、知らないつもりでも、無自覚に「氣」にしてしまうこともある。
たとえば事故の多い峠を知り、「何も思っていないつもり」でも、心のどこかで恐れや不安が生まれると、それが氣を生む行為になる。
反対に、全く氣にならず、意識も感情も動かない人には作用しにくいこともあります。
氣には善悪はなく、ただ強い・弱い、大きい・小さいがあるだけだと僕は考えています。
氣を氣にするということ
日本語には「氣になる」「氣にする」「氣をつける」「氣遣う」といった表現がたくさんあります。
これらは単なる言い回しではなく、思考や感情が動く感覚を表していると思います。
「氣にする」とは、意識的・無意識的に関わらず氣を生む行為です。
「氣にしない」は、知っていても氣を生み出さない行為です。
「氣にならない」は、そもそも知らないか、知っていても感情や思考が揺れず、氣が生まれない状態です。
この違いはとても微妙で、言葉だけで説明するのが難しいところがあります。
ですが、意識と無意識の境界に立ち上がる氣の感覚は、僕にとって無視できないものです。
そうとしか考えられない現象が、現実の中にいくつも在ると思っています。
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気と氣のちがい
同じ「き」という言葉でも、そこに含まれる力は同じではないと僕は感じています。
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単なる表記ではない
「氣」と「気」は、一見するとただの表記の違いに思えるかもしれません。
ですが、僕自身の体感でははっきりとした差があると感じています。
「氣」という文字には、陽的な力が含まれているように思います。
文字を目にしたとき、どこか軽さや温かさのようなものがある。
逆に「気」という文字には、陰的な要素が強く漂うような感覚があります。
言葉にするのは難しいのですが、受け取る印象がまるで違う。
それは単なる思い込みや先入観では説明しきれない感覚です。
同じ意味のはずなのに、書き方だけで氣の質が変わるように感じることがあります。
この差は、体験として一度意識すると、以後もずっと消えずに残ります。
筋反射テストの体感
この違いを実感するきっかけになったのが、紙に文字を書いて筋反射を試す体験でした。
白い紙に「氣」と書いて、それを手に持ったり、ただ見るだけでも、しっかり踏ん張れる感覚がありました。
同じ条件で「気」と書いた文字は、手に持ったり見るだけでも、なぜか力が抜けるような感覚になり、支えられなくなる。
たまたまだろうと思い何度も繰り返しましたが、結果は同じで、参加者全員が同じ反応を示しました。
説明できる理屈はわかりません。
けれど一度や二度の偶然では片付けられないと思っています。
もし興味があれば、自分で試してみるのが一番早いかもしれません。
この体感がすべてだとは言いませんが、僕にとっては無視できない経験です。
もちろん、これで何かのメンタルブロックが解放されたと証明できるわけではありません。
ただ、確かに体感として違いがあるのは事実だと思っています。
証明はできないが無視できない
こうした感覚には、科学的な根拠は今のところ一切ありません。
データや数値を並べて証明できる話ではない。
それでも確かに違いがあるとしか思えない感覚があります。
最近はSNSなどで「氣」という表記を使う人を、どこかスピリチュアルかぶれだと揶揄する風潮も見かけます。
たしかに何でも特別視してしまう人もいますが、言葉の使い方はその人の体感に基づくものだと思います。
僕は、氣と気に差があると感じています。
だからブログやSNSでもあえて「氣」という表記を使っています。
だからといって、その感覚を説明しきれないからと笑い飛ばすのは、少し違う気がします。
すぐに結論を出す必要も、正解を探す必要もありません。
「氣」と「気」は単なる文字ではなく、何かしらのちがいがある。
まずはそう知っておくだけでもいいと僕は思っています。
氣をどう捉えるか
氣は操作するものなのか、それとも知っておくだけで十分なのか。僕自身もずっと考えてきたテーマです。
整えることへの懐疑
氣を整えるための浄化やヒーリングを全否定するつもりはありません。
僕自身も、誰でもできるエネルギーワークという講座を通して、浄化やヒーリングをお手伝いすることがあります。
ただ、この講座は非公開で限定的に行っていて、こちらからお話を伺い、必要だと判断した場合のみご案内する形にしています。
誰でも気軽に受けられるものではなく、興味本位で申し込むことが目的になってしまう方には向かないと思っています。
だからこそ実感するのは、それが万能ではなく、目的でもないということです。
氣が変わればすべてが変わると信じ込みすぎると、今ここにある現実が置き去りになる。
氣を整えることはひとつのきっかけや補助にはなるけれど、すべてを変える魔法ではありません。
だからこそ、整えるよりもまず知ることが先にあるのではないかと思うのです。
何が起きていて、どんな氣が動いているのかを知る。
それだけで十分だと感じる場面は少なくありません。
「整えなければいけない」と思うほど、自分の内側の不安に引っ張られることもある。
整える行為そのものを否定はしないけれど、執着するほど本来の感覚が曇っていく気がします。
氣はすべてではない
氣が現実に影響することは確かにあると思います。
でも、だからといって氣だけがすべてを決めるわけではありません。
行動や選択、タイミングや他の人の意思など、いくつもの要素が重なって現実は動いていく。
氣の影響は大きいかもしれないし、ほんの一部かもしれない。
それを「氣のせい」「氣のせいじゃない」と白黒はっきり分けるのは不自然です。
氣に触れると、つい特別な力をそこに見出したくなることがあります。
けれど氣を理由にして何もかも説明するのは、自分で考える余地を閉じることにもなる。
僕はそう思っています。
氣は確かにあると感じるけれど、それだけが現実を動かすわけではない。
だからこそ、必要以上に特別視しないことも大事だと考えています。
まず知ること
氣に対して何かをしようと焦る必要はないと思っています。
操作しようとしなくても、整えようとしなくてもいい。
まずは「氣というものがある」と知るだけで十分だと思います。
他人と交わり、影響し合うものだと理解する。
それだけで見える景色が少し変わることもあります。
知らないままよりも、知っているだけで不安が和らぐことがある。
操作も評価も、後から必要になったときに考えればいい。
まずは「氣は確かに存在するかもしれない」と受け入れてみる。
それが一番自然で、肩の力が抜ける向き合い方だと僕は感じています。
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氣と感情、そして全き力
氣の話をしていると、引き寄せの「行動と意識を一致させる力」と重なる部分があると感じています。
引き寄せの祖の一人といえるウォレス・D・ワトルズは、自著『富を得る科学(The Science of Getting Rich)』の中で、「全き力(the power of certainty の意訳)」という表現を使っています。
願いを思い描き、確信し、行動を重ねるときに生まれる流れ。
それが現実を動かす原理のひとつだと僕も思っています。
行動と意識を一致させる力
「こうなりたい」と思うだけでは、現実はそう簡単には動きません。
願うだけでも足りないし、行動だけでも揺らぐものがある。
だからこそ「意識して確信し、その確信を保ったまま行動する」。
それが引き寄せを動かす核だと僕は感じています。
このとき生まれる力は、ただの思い込みではなく、現実を動かす推進力になる。
でも実際には、この確信を保つことが一番むずかしいのだと思います。
確信を阻むもの
なぜ確信を保てないのか。
多くの場合、心の奥にある負の感情がその根っこにあります。
不安や恐れ、疑い。
そうした感情が、氣の中に陰的な性質を生む。
負の感情は負の氣(陰氣)を生み出し、確信を揺らし、行動を鈍らせるきっかけになる。
何も特別なことではなく、誰でも同じです。
「氣が整わないから動けない」のではなく、「負の感情が確信を削ってしまう」のだと思います。
まず感情を解放する
僕は無理に氣を変えようとするよりも、まず感情を解放するほうが自然だと考えています。
それが「誰でもできるメンタルセラピー」という方法です。
詳しいやり方はここでは割愛しますが、要するに負の感情を一旦外に出し、手放していく感覚を育てるものです。
感情が軽くなると、自然に氣も変わります。
無理に整えようとするのではなく、まず心を軽くする。
そうすることで確信も行動も自然に一致しやすくなると思っています。
氣は全き力の一部かもしれない
引き寄せを動かす「全き力」は、意識と行動が一致したときに生まれる大きな流れです。
僕は、氣もこの全き力の一部ではないかと思うことがあります。
まだはっきりとは言えませんし、証明もできません。
けれど感覚として、氣もまた現実を支える何かの要素だと感じています。
行動と意識の間にある「何か」。
それが氣と呼ばれるものの一面なのかもしれません。
まとめ
ここまで、氣について僕の考えをお話ししてきました。
氣は単なる感情でも思考でもなく、その両方が混ざり合って生まれるもの。
そして、完全に自分だけのものでも、外から一方的に与えられるものでもないと感じています。
「氣を変えればすべてが好転する」という考え方もあれば、「氣なんて存在しない」という立場もあります。
どちらが正しいと決めつけることはできませんし、証明もできません。
けれど、実際に体感がある以上、僕にとっては無視できない感覚です。
そして、無理に氣を操作するよりも、まず自分の感情を解放し、心を軽くすることが先だと感じています。
「誰でもできるメンタルセラピー」は、そのきっかけとして僕が大事にしている方法のひとつです。
氣も、感情も、行動も、すべてが現実に影響する一部でしかありません。
だからこそ、何かを特別視しすぎず、知っておく程度で十分なときもあります。
この文章が、あなたが自分の氣との関わり方を少し考えるきっかけになればうれしいです。
もし一人では整理しきれない感情や氣の重なりを感じているなら、必要に応じてサポートもしています。
個人サポートで、あなたが無理なく向き合える方法を一緒に探していけたらと思います。