- 妻の意思を尊重して離婚を受け容れました。を追加しました
- 保護命令の退去命令の期間が過ぎました。を追加しました
- 妻から離婚調停申立書が届きました。を追加しました
- 妻が保護命令を申し立て理由を考えてみるを追加しました
ただの言い訳です
今回の内容は、ただの言い訳にすぎません。
妻への暴力をしていいという理由にもなりません。
ただ僕が妻に暴力をふるってしまったいきさつについて書きます。
そして当時の僕の身勝手な思い込みで暴力をふるってしまっていたことです。
そして僕は、毎回暴力をふるっていたわけではありません。
この思い込みによるストレスの蓄積が爆発して暴力をふるってしまっていました。
妻は家事をしないという思い込み
まず最初の勝手な思い込みは妻は家事をしないという思い込み。
これは完全な僕の勝手な思い込みでした。
ただ妻は家事の一部が苦手だった今の僕は認識しています。
そしてこの一部の苦手な家事が出来ていないことを見て僕は妻は家事をしないと思い込み妻を批判していました。
妻が苦手だった家事は片づけと、食器の洗浄。
家事の中でも面倒くさいことこの上ない作業です。
価値観のズレがDVの引き金になる
妻の苦手な家事が出来ないことを僕の価値観では認めることが出来ずストレスになっていきました。
例えば、食器の洗浄。
僕の価値観でいえば、食器の洗浄、というよりもシンクは寝る前には空っぽにしておくものというのがあります。
もちろん少しぐらい洗い物が残っているぐらいであればストレスにはなりません。
しかし妻はシンクに洗い物が残っていても気にならない。
このズレが気にする側にストレスになります。
ここまでだと、僕が洗ってしまえばいいとあなたは思うかませんし今の僕もそう思います。
当時の僕は、もう一つ別の価値観が邪魔をしていました。
それは、決められた役割は守るというものです。
そして食器の洗浄は妻がするという約束でした。
ここにDVが起きる原因がありました。
僕は妻に決められた役割と約束を守らせようとしました。
そのため妻になぜ約束を守れないのか?やいつになったらできるようになるのか?など妻を責め続けました。
当然言われた妻は嫌な思いをしているので不機嫌な顔になります。
そこに追い打ちをかけるようにそうなった時に僕が同じような状況で言われ続けた言われるのが嫌なら言われる前にやれと妻に言っていました。
それをすることで、妻はますます不機嫌になり、僕はますますストレスが溜まります。
そして限界を超え暴力をふるうことになってしまいました。
妻が家事が苦手だった理由
妻がDV避難シェルターに入り、自分がDVをしていたと自覚してから僕は妻の一部の家事が苦手な理由を考えつけました。
食器の洗浄、片づけ、洗濯物を畳む。
共通しているのは、面倒くさいということ。
ただこれは僕もそう感じているしあなたもそうではないでしょうか?
しかし面倒くさくてもやらなければならないことでもあります。
ただ洗濯物を畳むことと、片づけの一部については、取り掛かるまでに時間はかかっていましたが妻はしてくれていました。
他にも面倒くさくてなかなかできなかったことを改善することで妻が面倒くさがらずにできるようになったこともあります。
また食器の洗浄も毎回やらないわけではありません。
そしてたことから見えてくる共通点がいくつかありました。
妻は体を動かすことが苦手ということです。
家事での動作でいえば立ったりしゃがんだりするのが億劫だということ。
そうした動作を解消すれば妻は面倒くさがらずできることも分かっていました。
それは今は改善されましたが妻が苦手だったものに掃除機をかけるということがあります。
結婚当初は、いわゆる普通の掃除機でしたが2020年6月ごろに思い切ってダイソンのコードレス掃除機に買い替えたところ、今まで1週間から2週間に一回程度しか掃除機をかけなかった妻がほぼ毎日するようになりました。
それでも一部苦手というか億劫なのだろうというところは残っています。
それも改善方法は見えていたので多少のストレスはありましたが爆発するほどではありませんでした。
つまり妻の億劫、面倒くさいと感じる部分を解消すれば妻は家事ができるということです。
しかし当時の僕はそのことでできるのにやらない、面倒くさがってやらないというほうに考えてしまっていました。
家事分担が妻のほうが多いことに気付いていないDV夫
当時の僕は、家事を分担して僕もやっているという自負がありました。
しかし実際は家事のほとんどは妻で僕がやっていることというのは些細なレベルでした。
僕がしていた家事は
- 夕食を作る
- 子供をお風呂に入れる
- 次女のオムツを変える(妻のほうが頻度が高い)
- 子供たちの寝かしつけ(妻のほうが頻度が高い)
- 布団の上げ下げ(妻のほうが頻度が高い)
- 長女の幼稚園の送り迎え
- 長女と次女の相手(妻のほうが頻度が高い)
- トイレ掃除
- 日用品の買い物
- 食材の買い物(妻と共同)
- お風呂を洗う(妻もしている)
- お風呂を沸かす(妻もしてる)
妻がしていた家事は
- 夕飯を作る手伝い
- ご飯を炊く
- 子供たちの朝食・昼食を作る
- 幼稚園の準備
- 長女の上靴を洗う
- 食器を洗う
- 次女のオムツを変える
- 子供たちのお風呂の後体をふく
- 長女と次女の相手
- 子供たちの寝かしつけ
- 部屋の掃除
- 食材の買いもの(僕と共同)
- 食材の収納
- お風呂を洗う
- お風呂を沸かす
- ゴミ出し
- 洗濯をする
- 洗濯物を取り込む
- 洗濯物を畳む
- 布団の上げ下げ
こうしてあげてみてもほとんどの家事は妻がやっています。
特に子育て、子供たちの相手というのは精神的にも体力的にも消耗は激しいはずです。
それでも妻は文句も言わずにやり続けてくれました。
今は妻がやってくれていたことに感謝の気持ちがあります。
しかし当時の僕は、それが当たり前で感謝の気持ちもなくむしろ家事の一部をやっている自分は偉いとさえ感じていたように思います。
しかも家事には名前のついていない家事も存在します。
そうした家事も妻はきっとやってくれていたでしょう。
それなのに僕は、妻がしてくれている家事の一部が出来ていないことに妻を責め苦しめていました。
今思えば、責めるのではなく妻の苦手な家事をなぜ代ろうとしなかったのかと後悔しています。
恐らく当時の僕の上質世界の妻像というのは家事を完璧にこなすものという状態だったのだろうと思います。
上質世界の妻像と現実の妻とのギャップに苛立ちストレスをため妻を責めていたのだと思います。
DV加害者更生プログラムいわれたDVの本質
DV加害者更生プログラムでいわれのはDVの本質は、暴言でも暴力でもなく相手を支配しようとすることです。
この言葉は、僕にとって衝撃でした。
この言葉を聞いて改めて僕がDV夫だったと自覚しました。
僕は妻に理想の妻像を押し付け、その状態になれない妻を責めていた。
言い換えれば自分の理想の家庭を妻に押してつけそこから外れる妻を責めていたということです。
さらに問題は、自分の理想の家庭を妻に説明もしていないということ、理想を修正しようとはせず妻に強制しようとしていたこと。
つまり、妻や子供を思い通りに支配しようとしていたということです。
ただ人はだれしも自分の人や物を含めたさまざまのものを自分のいいようにコントロールしようとします。
そしてコントロール、controlの意味には支配も含まれています。
行き過ぎたコントロールは支配につながります。
妻を恐怖で縛っていた
思い返せば、交際していたころから僕は妻を恐怖で縛っていたように思います。
自分の記憶にあるのは交際してから初めて二人でいった旅行の時からすでに僕は妻を恐怖で縛ろうとしていました。
旅先でトラブルがあり僕は怒りの矛先を妻に向けてしまいました。
その時から僕は妻に恐怖を植え付けてしまい妻は僕の顔色を伺うようになってしまったのではないかと思います。
妻にとっては僕は突然怒り出す人間に見えたのだと思います。
そして妻はとにかく僕を怒らせないようにということばかりを考えてしまっていたのではないかと思います。
それが妻が注意されたときの口癖につなっがっているのではないかと思います。
さらに妻が抱く恐怖が思考を停止させ僕に怒らせないを基準に判断するために僕が思っていることとは違う結果の伴わない判断をしていたのでなないか、そのため僕がさらに怒ってしまい妻はどうすればいいかわからなくなってしまったのではないか?
そう思えて仕方がありません。
まとめ
今回は、DVをしてしまったことへの言い訳でしかありません。
ただ今DV加害者更生プログラムを受講したことから見えてくるのは、「自分はこれだけのことをやっている。自分が正しい」と思うことはよくあると思います。
しかし同じように相手もそれを思っている。
自分の理想を相手に押し付けようとしたときすでにDVは始まっているのではと今の僕は考えています。
これから続くDV加害者更生プログラムによって僕がどう変化していくのかはわかりません。
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