保護命令発令か約2ヶ月

2月15日に保護命令がだされ2ヶ月が経ちました。

今僕は、実家の両親と生活をしています。

そして退去命令に関して言えば2ヶ月間なので自宅に戻ることはできるようになりました。

現在僕は、神奈川にあるNPO法人ステップのDV加害者更生プログラムを受講しています。

このプログラム52回あり現在14回までが終了しました。


自宅に戻ってみた結果

退去命令の期間が過ぎた翌日に自宅に戻ってみました。

自宅の扉を開けてみると、玄関に置いてあった次女用のベビーカーがなくなっていました。

この時に僕は妻が、荷物を取りに来たとわかりました。

僕がその後、すぐ確認したのは長女のランドセル。

妻がDVシェルターに避難し、保護命令が出されてからずっと気になっていたこと。

それは長女が四月から小学生になるのにランドセルを持って行かなかったこと。

確認するとランドセルもなくなっていたので、とりあえず一安心でした。

いら立ちは多少あったけど怒りにまでならなかった

ランドセルを持って行ってくれたことに長女が小学校に通えてるとわかったことで安心したからかもしれませんが、部屋の荷物が持ち出されているのを確認していっても特にいら立ちのようなものは感じませんでした。

ただそうした中で、僕としては持ち出してほしくなかったもの、食事用のテーブルや布団などがないことに気付いたとき、少しだけ苛立ちを感じました。

テーブルも布団も僕が実家から持ってきたもので妻のモノではないということ。

他にもミラブルのシャワーヘッドも取り外してありました。

それらを見た瞬間に一瞬はイラっとしたものの怒りが爆発するようなことはありませんでした。

どれも生活するのには必要なものばかりなのだから当たり前のものだからです。

そこから部屋から何が持ち出されたかをざっくりと確認してみると不可解なことがいくつかありました。

鍋やフライパンは持ち出したのに包丁とまな板は持ち出していない。

コップなども残ったまま。

ラップは置いていったのにフリーザーバックは持ち出した。

など、持ち出したものが中途半端な状態。

子供たちのおもちゃも持ち出してくれたことはありがたかったと考えてます。

中途半端な持ち出しで僕が思ったのは、妻はまだ新しい部屋などを借りて生活しているのではなく、DV避難シェルターで生活しているのではないかということ、そのために持ち出せるものに制限があったのではないかと思いました。


DV加害者更生プログラムで考え方が変わったのかも

こうしたことを考えているとき、僕はふと以前の僕だったどうしていただろうと考えてみました。

更生プログラムを受ける前の僕だったら、恐らく自宅に戻り、イラっとした布団やテーブルがなくなっているのを見た時に怒っていただろうと思います。

理由としては、僕の実家から持ってきたものを妻が勝手に持ち出すという行為を僕は許せなかったと思います。

つまりあくまでテーブルと布団はあくまで僕の所有物という認識でいたのだろうと思います。

そいてその認識がまだ残っていたので布団やテーブルがないのを見た瞬間、イラっとしたのだろうと思いました。

長女のために買ったNintendo Switchが持ち出されているのを見た時は苛立ちはありませんでした。

ただ、長女が好きなゲームを一つおいていったこと、それ用のオプションのパーツを置いていったことは少しモヤっと気持ちはありました。

恐らく妻は持ち出そうとしたが、施設の人がNGを出したのではないか、もしくは妻がNGにしてしまったのかわかりません。

しかしそれを置いていくことで長女が悲しむかもしれないと僕は思ってしまいました。

まとめ

DV加害者更生プログラムを受講して自分の中に間違いなく変化が起きています。

また調停が始まってもいないのでどうなるかはわかりませんが、関係修復のために全力を尽くしたい今はそれだけです。

また、先日のDV加害者更生プログラムにて、同じ受講生の方から、僕の表情が受講し始めてころよりも明るくなってきたと言われました。

当時の僕は自分が本当に更生できるから不安でいっぱいでした。

しかし少しずつだけど僕の考え方が変わってきている、怒りをコントロール出来ていることを実感しました。


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