この記事を読むのに必要な時間は約 36 分です。
- 「100%叶う」はもう古い。“頑張らなくていい”から考えて動く引き寄せへを追加しました
- 現実はどう作られる?無意識の選択構造と引き寄せの仕組みを追加しました
- 運氣の流れに乗ると努力は報われる?タイミングが現実を変える鍵を追加しました
- 決断に迷う本当の原因|ブレない選択力を育てる思考習慣を追加しました
- 「風の時代」に入って5年が経ち、社会や情報の流れは変わったが、引き寄せの本質は変わっていないこと。
- ただし、情報の民主化によって「信じ方」「願い方」はアップデートが必要になっていること。
- 1200年頃(鎌倉期)にも今と同じような「分散」「混乱」「再構築」の時代構造があったこと。
- 「風に流されず、風を読む」姿勢が、これからの引き寄せを機能させる鍵であること。
僕は「引き寄せの法則」という言葉をあまり使いません。
代わりに“引き寄せ”と呼んでいます。
偶然とは思えない体験を重ねてきたからこそ、これは人生の知恵として伝えたいと思っているんです。
2020年、「風の時代」という言葉がスピリチュアル界を席巻しました。
「これからは自由の時代」「個人の時代」「魂が軽くなる時代」──多くの人が希望を抱き、僕のブログにもその流れを求めて訪れる人が増えました。
しかし、あれから5年。現実はどうでしょうか。
確かに世の中は変わりました。働き方、つながり方、価値観。けれどその変化は、理想とは少し違う形で進んでいるように感じます。
自由を手にしたはずの私たちは、むしろ情報の渦の中で迷い、何を信じればいいのか分からなくなっている人が増えているのです。
この記事では、そんな“風の時代の今”を冷静に見つめ直します。
2020年当時に語られた理想、そして5年後の現実。
さらに、1200年頃の「前回の風の時代」との歴史的な共通点を通して、僕たちがどんな学びを繰り返しているのかを探ります。
そして最後に──変化の流れの中でも揺るがない、「引き寄せの本質」と「願い方の質」について整理していきます。
あなたが“情報に流されず、風を読みながら願いを現実に変える”ためのヒントを届けられたら幸いです。
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風の時代とは何か
「風の時代」という言葉が注目されたのは、2020年末です。
木星と土星が水瓶座で重なった「グレート・コンジャンクション」をきっかけに、約200年続いた「地の時代」から「風の時代」へと移行しました。
この変化は一時的なスピリチュアルブームではなく、約800年周期で巡る四大元素(火・地・風・水)による文明サイクルのひとつとされています。
- 火の時代:創造と情熱、アイデアが芽吹く時代。
- 地の時代:物質・制度・安定を重視し、社会構造を築く時代。
- 風の時代:情報・知性・つながり・自由を軸に価値が分散する時代。
- 水の時代:(次の時代)精神性・共感・融合を中心に再統合が進む時代。
この中で、今の私たちは「地」から「風」への転換期にいます。
物質や所有を重視する社会から、情報や共感を重視する社会へとシフトしている最中です。
つまり、形に縛られていた世界がほどけ、流れやつながりが主軸になる時代です。
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「地の時代」からの転換点
地の時代(1800年頃〜2020年)は、物質・所有・制度が価値の中心でした。
どれだけ所有し、どれだけの地位を築くかが成功の基準でした。
社会は明確なヒエラルキー構造で動き、権威やブランドが信用を生み出していました。
「引き寄せ」の文脈でも、目に見える成果や結果を得ることが「成功」とされていました。
しかし2020年以降、この構造が大きく変化しました。
情報が価値の中心となり、誰もが発信者となり、個人がつながりを通して影響力を持つ時代へと移行しました。
つまり、「所有する」時代から「共有する」時代への転換です。
地の時代が「形を固める」フェーズだったのに対し、風の時代は「形をほどく」フェーズなのです。
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風の時代 ― 情報と自由の時代
風の時代は、情報・発信・共感が新しい価値軸となります。
「誰が言うか」より「何を伝えるか」、そして「どんなつながりを生むか」が重視される時代です。
- 所有 → 共有
- 肩書き → 共感
- 支配 → 協働
- 固定 → 流動
情報が自由になったことで、発信の民主化が進みました。
しかし同時に、真偽の曖昧な情報が溢れ、混乱も生まれました。
風の性質は軽やかで自由な一方、方向を見失うと迷いを生むのです。
だからこそ、これからの時代は「風に流されず、風を読む」力が求められます。
情報や流行に振り回されるのではなく、自分の感覚で真実を選び取ること。
それこそが、風の時代の「引き寄せの在り方」といえるでしょう。
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前回(西暦1200年頃)の風の時代との比較
約800年前、西暦1200年前後にも「風の時代」は存在しました。
当時の日本では、平安時代から鎌倉時代へと移り変わり、中央集権から地方分権へのシフトが起こりました。
貴族が支配していた時代が終わり、武士の世が始まりました。
それは、権力の分散と新しいネットワーク社会の誕生を意味します。
情報(説法・噂・書物)が庶民に広まり、知識や価値観が「上から下へ」ではなく「人から人へ」と流れ始めました。
現代のSNSやフリーランス社会とよく似ています。
つまり、かつても今も「分散」「流動」「再構築」というテーマが共通しているのです。
歴史は繰り返しではなく、進化の螺旋です。
同じ構造を、より高度で複雑な形で再体験しているのです。
私たちはいま、まさにその「風の学び」を再び体験している真っ最中にいます。
そして問われているのは、「どう風を読むか」「どう意識を使うか」という一点です。
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風の時代に入って5年 ― 現実はどう変わったか
2020年ごろ、「風の時代」という言葉は一気に広まりました。
僕も当時その流れを感じて記事にしましたし、多くのスピリチュアル系の発信で未来への期待が語られていました。
参考記事:風の時代が来るとどうなる
あれから5年がたち、私たちは実際の社会や情報環境の変化を体感しています。
理想的なイメージとして語られた風の時代と、今ここで起きている現実には、重なる部分とずれている部分がはっきり見えてきました。
このセクションでは、「当時何が語られていたか」「今何が起きているか」「そこから引き寄せの前提をどう見直すか」を整理していきます。
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2020年に語られた「風の時代」とは何だったか
2020年当時の「風の時代」は、多くの場合とても明るいイメージで語られていました。
地の時代は終わり、これからは軽やかで自由な時代になるという希望が前面に押し出されていました。
具体的には、組織より個人が大事にされるようになることや、肩書きや学歴よりも人柄や発信内容が評価されるようになるといった語りが目立っていました。
また、会社に勤め続ける生き方からフリーランスや複業へ、固定された働き方から柔軟なワークスタイルへシフトするという話もよく見られました。
人間関係についても、地縁や血縁よりも、価値観でつながる仲間とのつながりが主流になると言われていました。
引き寄せの分野では、「重いものを手放せば軽やかな現実がやってくる」「直感のままに動けば道が開ける」といったメッセージが強調されていました。
当時の空気感としては、「今までの我慢の時代は終わり、これからは軽やかに望みが叶いやすくなる」という期待が集まっていたと言ってよいと思います。
僕自身も、その流れの変化を感じつつ、「とはいえ、現実はそんなに急には変わらないはずだ」とどこかで冷静に見ていたところもありました。
重要なのは、当時語られていたのはあくまで「可能性としての風の時代像」であって、「自動的にみんなが幸せになる保証」ではなかったという点です。
にもかかわらず、どこかで「時代が変わるから何とかなるかもしれない」という期待だけが先行した部分もあったように感じています。
5年たって見えてきた現実
では、風の時代と言われてから5年たった今、現実はどうなっているでしょうか。
ひとつはっきりしているのは、「情報の量」と「反応の速さ」が大きく変化したということです。
SNSでは、ひとつのニュースや噂が一気に広がり、それに対する賛否や感情的な反応が一瞬で飛び交うようになりました。
その中には事実に基づく情報もあれば、明らかなデマや誤解を含む情報もあります。
政治に関しても、岸田政権や石破政権にまつわる根拠の薄い話が拡散され、それを信じ込んでしまう人も少なくありませんでした。
本来であれば慎重に検証されるべき内容が、拡散の速さによって「それっぽさ」だけで受け入れられてしまう場面が増えたように感じます。
また、今の少数与党の状況や、政党の乱立に近い状態も、風の時代らしい分散の現れのひとつと言えるかもしれません。
かつてのように一強が支配する形ではなく、複数の勢力が競い、連立を組み、やり取りをしながらバランスを取っている姿です。
これは、前回の風の時代とされる西暦1200年前後の、武家政権への移行期とも構造が重なります。
中央集権がゆるみ、地方へ権力が分散し、誰が主導権を握るのかが揺れ動いていた時期です。
今もまた、「誰が正しいのか」「どの情報を信じればいいのか」が揺れ続けていると言えるでしょう。
ここで大事なのは、風の時代は必ずしも「楽で生きやすい時代」ではないということです。
むしろ、考えることをやめてしまえば、簡単に情報に振り回される危うさを含んだ時代でもあります。
僕たちは、ただ流れに任せていればいいわけではなく、自分の頭で考え続ける力を問われているのだと思います。
2025年現在に見える「風の時代」の象徴
2025年現在の社会を見ていると、「風の時代らしい現象」がいくつか見えてきます。
ひとつは、さきほど触れた少数与党や政党の細分化です。
一つの大きな力が全体を支配するのではなく、複数の勢力がせめぎ合う状態が続いています。
これは、かつての鎌倉期のような権力の分散と、現代版の多極化が重なっているように見えます。
もうひとつは、情報の民主化です。
誰もがスマートフォンひとつで発信できるようになり、個人の意見が一気に注目されることも増えました。
スピリチュアルの世界でも、有名な人だけでなく、無名の個人が急に注目を集めることがあります。
一方で、「あの界隈」と呼ばれるような発信グループの中には、内容の検証が薄いまま強い言葉だけが先行するケースもあります。
政治の世界でも、特定の有名人や発信者の名前だけで内容を判断してしまう危険性が高まっています。
誰かが言っているから信用するのではなく、何を言っているのかを確認する姿勢がなければ、簡単に判断を誤ってしまいます。
これは、スピリチュアルな発信を受け取るときも同じです。
「この人はすごそうだから」「この人は人気があるから」という理由だけで信じてしまうのは、風の時代には特に危険です。
むしろ、風の時代だからこそ、「誰が言っているか」ではなく「何を言っているか」に目を向ける必要があります。
さらに言うと、その内容を自分の現実に照らし合わせて、実際に役に立つかどうかを確かめる視点も欠かせません。
引き寄せについても、聞こえのよい言葉だけを追いかけるのではなく、自分の人生にどう生かすのかという問いかけが重要になってきます。
風の時代は、確かに自由度が高く、選択肢も増えた時代です。
しかし同時に、自分で考えることをやめた瞬間に、流されやすくなる時代でもあります。
だからこそ、「時代が変わったから引き寄せも変わる」のではなく、「時代が変わったからこそ、引き寄せの本質に立ち返る必要がある」と僕は考えています。
情報の民主化と「誰が言うか」から「何を言うか」へ
風の時代は、情報の扱い方がそのまま生き方に直結する時代だと僕は感じています。
スマートフォン一つで、誰でも考えや意見を発信できるようになりました。
同時に、誰でも簡単にデマや憶測を広げることもできるようになりました。
このセクションでは、情報の民主化がもたらした光と影を整理しつつ、「誰が言うか」ではなく「何を言うか」で判断する視点について掘り下げます。
そして、引き寄せを実践するうえで、何を信じるかをどう選ぶのかというテーマにまでつなげていきます。
情報の民主化の光と影
ここ数年で、情報の流れは目に見えて変わりました。
テレビや新聞だけではなく、個人のブログや動画、SNSの投稿が多くの人の価値観に影響を与えています。
これは、情報の入り口が一部の専門家や大きな組織から、私たち一人ひとりにまで広がったという意味で、たしかに前向きな変化です。
少数派の声が届きやすくなり、マイノリティや弱い立場の人の経験や意見も共有されやすくなりました。
スピリチュアルの分野でも、かつては一部の有名な先生だけが語っていた内容に、さまざまな視点が加わるようになりました。
個人の経験や試行錯誤が、そのまま学びの材料として共有されるようになったのは、情報の民主化の大きな利点だと思います。
一方で、情報の量が増えた分だけ、真偽の判断が難しくなったことも事実です。
事実の裏付けが薄い話や、誰かにとって都合のよい解釈だけを並べた話が、そのまま「真実らしく」広がってしまうことがあります。
政治の話題でも、岸田政権や石破政権、高市内閣に関する根拠のあいまいな話が拡散し、それをそのまま信じてしまう人も少なくありません。
元の発言や政策の全体ではなく、一部だけ切り取られた情報が流れ続けることで、実態とは違うイメージが固まってしまう場合もあります。
スピリチュアルの世界でも、同じようなことが起きています。
「あの界隈」とひとまとめにされるような発信グループの中には、強い言葉や不安をあおる表現だけが先行し、内容の検証やバランスが十分とは言いにくいものもあります。
それでも、フォロワー数が多かったり、言い切りの表現が多かったりすると、「きっとこの人は分かっているはずだ」と感じてしまいやすくなります。
情報の民主化は、たしかに可能性を広げました。
しかし同時に、「目立つ情報が真実とは限らない」という前提を、今まで以上にはっきり意識する必要が出てきました。
風の時代は、ただ情報が自由になった時代ではなく、「情報の中でどう立つか」が試されている時代なのだと思います。
「誰が言うか」ではなく「何を言うか」を基準にする
スピリチュアルの世界では、しばらくのあいだ「何を言っているかではなく、誰が言っているかが大事」という空気が強くありました。
有名な人や人気のある人、いわゆるカリスマ的な人物の言葉だから信じるという判断が当たり前のように行われてきました。
政治の世界でも、名前が知られている論客や、炎上しやすい発信をする人たちの言葉だからという理由だけで、内容そのものを深く見ないまま受け入れてしまうケースがあります。
それは、高市氏や岸田氏、石破氏といった政治家に対する期待や不満の集まり方を見ても分かります。
同じような内容を誰かが以前から言っていても、その時は見向きもされず、名前の知られた人が同じような言葉を使うと急に注目されることがあります。
この構図は、スピリチュアルの発信でもそのまま当てはまります。
特定の有名人が語る引き寄せの話や、あの界隈の人たちが語る陰謀の話は、その内容以前に「誰が言ったか」によって大きく受け取られ方が変わります。
しかし、風の時代の情報環境では、「誰が言ったか」だけを基準にするのは非常に危険です。
フォロワー数や肩書き、知名度が高いからといって、その人が常に正しいとは限りません。
逆に、あまり知られていない人の言葉の中に、自分にとって本質的なヒントが含まれていることも多くあります。
だからこそ、これからは「誰が言っているか」ではなく、「何を言っているか」を基準にする必要があります。
内容が具体的かどうか、現実の生活に落とし込んだときに意味があるかどうか、自分の頭で考えたときに納得できるかどうかを見ていくことが大事です。
そしてこれは、政治家や著名人だけの話ではありません。
引き寄せ系のブロガー、スピリチュアル講師、セラピストなどの発信にも同じ構造が見られます。
発信の自由が広がったことで、誰でも自分の考えを伝えられるようになりましたが、それだけに「何を伝えるか」「どのように伝えるか」がより重要になりました。
影響力を持つ人ほど、言葉の選び方一つで多くの人の行動や考え方を左右します。
だからこそ、「伝える側の責任」と「受け取る側の判断力」が、これまで以上に問われる時代になっています。
僕自身が書くことについても同じです。
「僕が言っているから信じてほしい」とは思っていません。
むしろ、「僕の言葉も含めて、一度自分の中で噛み砕いてほしい」と考えています。
風の時代は、誰かの言葉に寄りかかるのではなく、自分の判断軸を持つことを求めてくる時代です。
その判断軸を育てるためにも、「誰が」ではなく「何を」に意識を向ける習慣が必要になります。
信じるという行為をどう扱うかと引き寄せ
引き寄せの実践において、「何を信じるか」はとても大事な要素です。
ただ、その「信じる」を勘違いしてしまうと、風の時代の情報環境では簡単に足元をすくわれます。
「この人が言っているから信じる」という形の信じ方は、自分の思考を止めてしまう危険があります。
それは、引き寄せの確信とは似ているようでまったく違うものです。
引き寄せにおける確信は、「自分で選んだ考え方や行動に、自分で責任を持つ覚悟」に近いものです。
一方で、誰かの言葉を鵜呑みにする形の信じ方は、「判断を他人に預ける行為」です。
風の時代に必要なのは、後者ではなく前者のほうだと僕は思っています。
情報の民主化によって、スピリチュアルなノウハウや引き寄せのコツのような話も、いくらでも手に入るようになりました。
けれども、どれだけ情報を集めても、「自分で選び、自分で決める」という部分は誰にも代わってもらえません。
ここで一度、少し厳しい言い方をするなら、「この人についていけば何とかしてくれる」という発想は、風の時代には通用しにくくなっています。
それは、政治の世界でも、スピリチュアルの世界でも同じです。
どれだけ信頼している発信者であっても、その人の言葉をそのまま取り入れるのではなく、「自分の現実に照らしたときどうか」という確認が必要です。
僕自身の発信に対しても、「僕がこう言っているから」ではなく、「自分の経験と照らしても納得できるか」で判断してもらえたらうれしいです。
風の時代の引き寄せは、「誰を信じるか」ではなく、「どの考え方を土台に生きるか」を選び取る行為だと言えます。
そのときに頼れるのは、フォロワー数でも肩書きでもなく、あなた自身の感覚と経験です。
情報の波の中で、自分の判断軸を持って立つこと。
それが、風の時代に引き寄せを機能させるための、土台になるのだと思います。
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1200年頃と今 ― 歴史にみる「風の時代」の構造
過去を振り返ると、僕たちは今、歴史が繰り返す「分散と再構築」のプロセスの中にいることがわかります。
西暦1200年頃の日本も、まさに同じような転換期でした。
時代の風が中央集権を崩し、地方へ、そして個へと力を分散させていったのです。
鎌倉期の権力分散と情報構造
当時の日本では、武士政権の誕生によって、長く続いた貴族中心の中央集権体制が崩れました。
平安時代までの「地の時代」が終わり、武士という新しい勢力が現れ、地方の発言力が一気に高まっていったのです。
これにより、政治は「一極集中」から「多極化」へと変化しました。
情報も、都の貴族だけが独占していた時代から、地方の武士や僧侶が伝える「草の根ネットワーク」のような仕組みに移行しました。
この構造は、まさに現代のインターネット社会における「分散型情報構造」と重なります。
“情報の混乱”の再現
鎌倉時代の幕開けも、ただの改革ではありませんでした。
権力構造が崩れた直後、社会には混乱が広がり、「誰が正しいのか」「何が真実か」が分からない時代が到来しました。
僧侶が「仏の加護」を説き、武士が「正義」を掲げ、各地で異なる思想が流行しました。
つまり、当時の日本も「言葉が力を持ちすぎた時代」だったのです。
現代のSNSで“拡散”や“バズ”が社会を動かすのと、構造的にはまったく同じ現象です。
歴史は「繰り返す」ではなく「反復進化する」
「歴史は繰り返す」と言われますが、実際にはまったく同じ形で起こるわけではありません。
人類は同じ構造を、より複雑で洗練された形で再体験しているのです。
1200年頃の風の時代は、権力の分散とともに「精神の自由」を学ぶ時代でした。
そして2025年の今は、「情報の自由」と「個の責任」を学ぶ時代です。
この“風の学び”の本質は、「自由」と「混乱」を同時に体験しながら、どうバランスを取るかにあります。
だからこそ、僕たちは歴史を「反復進化のプロセス」として捉える必要があるのです。
風の時代の願い方 ― 引き寄せの本質は変わらない
ここまで見てきたように、社会の構造や情報の流れは大きく変わりました。
それでも、引き寄せそのものの仕組みは本質的には変わっていないと僕は考えています。
変わる必要があるのは、「何を願うか」よりも、「どの前提と言葉で願うか」のほうです。
地の時代に合っていた願い方をそのまま使うと、風の時代の現実とは少し噛み合わない部分が出てきます。
このセクションでは、地の時代と風の時代の願い方の違いと、今の時代に合った引き寄せの言葉選びについて整理していきます。
地の時代と風の時代の「願い」の違い
まず押さえておきたいのは、「願いのテーマ自体はあまり変わっていない」ということです。
お金が欲しい、仕事で認められたい、自由な時間が欲しい、いい人間関係をつくりたい。
こうした願いは、地の時代にも今の風の時代にも共通しています。
では何が変わったのかというと、「願いの前提」と「願いの使い方」です。
地の時代の願いは、どちらかというと「持つこと」「守ること」「失わないこと」が中心に置かれていました。
例えば、「お金持ちになりたい」という願いの背景には、「お金をたくさん持っていれば安心だ」という発想があります。
仕事であれば、「安定した会社に入りたい」「一度つかんだ立場を手放したくない」といったイメージです。
そこでは、お金や肩書きや立場が「守るべきもの」「失うと困るもの」として扱われやすくなります。
一方、風の時代に入った今は、同じ「お金」や「仕事」でも、意味合いが少し変わってきています。
お金は「ため込むもの」というより、「選択肢を増やすための手段」として捉えられやすくなりました。
仕事も、「所属先」よりも「自分がどのような価値を出していくか」という視点が重くなりつつあります。
つまり、テーマは同じでも、「所有のために願うのか」「選択と行動の自由のために願うのか」が変化しているのです。
地の時代の願い方に引き寄せを合わせると、「とにかく失わないように守りたい」という意識が強くなりがちです。
それは、表向きは願っていても、内側では不安や不足感に焦点を当て続けることにもつながります。
風の時代に合った願い方は、「何を持つか」よりも、「どんなふうに生きるか」に焦点を移すところから始まります。
お金や仕事は、その生き方を支えるための道具として位置づけ直していくイメージです。
この前提の違いが、そのまま引き寄せの働き方にも影響してきます。
僕が体系化している引き寄せの仕組み(名前はまだない)でも、願いの言葉と前提はとても大事な要素になっています。
同じ「お金が欲しい」という願いでも、前提が変わると、そこに向かう思考・感情・行動の質がまったく変わってしまうからです。
風の時代に合った願いの具体例
では、風の時代に合った願い方とは、どのようなものなのでしょうか。
ここでは、あくまで一例として、いくつかの言葉の方向性を挙げてみます。
ひとつめは、「自分の経験や知識を生かして収入につなげたい」という願い方です。
これは、「お金が欲しい」という表現よりも、「自分の持っているものを形にして、人の役に立て、その結果として収入を得たい」という方向を含んでいます。
風の時代は、情報や経験や視点といった目に見えにくいものが価値になりやすい時代です。
そのため、「何を持っているか」よりも、「自分の持っているものをどう差し出すか」という願い方がしっくりきます。
ふたつめは、「やりたいと思ったときに、金額を理由に迷わず行動できる余裕が欲しい」という願い方です。
これは、「お金をたくさんためたい」という発想とは少し違います。
お金を目的にするのではなく、「学びたいときに学べる」「行きたいときに行ける」といった、行動の自由度を高める方向に願いを置いています。
みっつめは、「お金を理由に諦める選択を減らしたい」という願い方です。
風の時代は、選択肢が多く見える一方で、「どうせ無理だ」と自分で枠を狭めてしまう場面も増えています。
その枠を広げるためにお金を使いたい、という願い方は、風の時代の流れと相性が良いと感じます。
よっつめとして、「自分の仕事や活動が誰かの役に立ち、その結果として収入になる形をつくりたい」という願い方もあります。
これは、地の時代にも存在していた願いですが、今はより多くの人に開かれた形で実現しやすくなっています。
SNSやブログ、オンライン講座などを通じて、自分の経験や視点を必要としている人に届けることができるからです。
大事なのは、「お金だけを願う」のではなく、「どんな動き方をしたいのか」「どんな関わり方をしたいのか」を含めて願うことです。
そうすることで、引き寄せの対象が単なる金額ではなく、「生き方の全体像」に近づいていきます。
もし、自分の願いをどう言葉にしたらいいか分からない場合は、一度ノートなどに素直な本音を書き出してみるのも一つの方法です。
そこで出てきた本音の中から、「これは今の自分にとって本当に大事だ」と感じるものだけを選び直していくイメージです。
必要であれば、個人サポートで一緒に整理していくこともできます。
他人の価値観に合わせるのではなく、自分の言葉で願いを組み立てていくことが、風の時代の引き寄せにとって重要な土台になっていきます。
変わるのは「形」ではなく「質」――本質はそのままに
ここまでの話をまとめると、風の時代になったからといって、引き寄せの本質が別物になるわけではありません。
願いを思い描き、負の感情を解放し、確信を育て、行動するという流れは、時代が変わっても変わらない軸です。
僕が体系化している引き寄せの仕組み(名前はまだない)も、この流れを前提に組み立てています。
変わるのは、その流れをどの方向へ向けるか、そしてどのような言葉で自分に宣言するかという「質」の部分です。
地の時代の願い方は、「足りないものを埋めるための願い」になりやすい傾向がありました。
一方、風の時代の願い方は、「自分の選択肢を広げるための願い」にシフトしていくとしっくりきます。
お金が欲しいのは、お金そのものが目的なのではなく、「学ぶ自由」「休む自由」「挑戦する自由」を増やしたいからだと捉え直すことができます。
仕事で評価されたいのは、見栄や比較のためではなく、「自分の得意を生かして貢献したい」という本音があるからだと見ることもできます。
こうして願いの質を見直していくと、引き寄せに必要な行動の取り方も自然に変わっていきます。
守るための行動ではなく、試してみるための行動が増えていきます。
正解探しではなく、「まず一歩動いてみて、そこから学ぶ」という姿勢が取りやすくなります。
風の時代に大事なのは、時代の風に振り回されることではありません。
かといって、風を完全に無視して生きることでもありません。
大事なのは、「自分が行きたい方向を決めたうえで、その風をどう利用するか」を考えることです。
引き寄せも同じで、時代の流行や誰かの言葉に合わせる必要はありません。
自分の中にある本音を丁寧に拾い上げ、その本音を支えるためにお金や仕事や人間関係をどう願うかを決めていく。
そのうえで、負の感情を解放し、具体的にイメージし、現実の行動を積み重ねていく。
この流れ自体は、地の時代でも風の時代でも変わりません。
ただ、風の時代においては、「何を手に入れるか」よりも、「何を選べる自分でいたいか」という視点を加えることで、願いの質が大きく変わっていきます。
それが、風に流されるのではなく、風に乗る側に立つための引き寄せの使い方だと、僕は考えています。
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まとめ
ここまで、地の時代から風の時代への流れと、引き寄せとの関係について見てきました。
最初に確認したとおり、時代がどう変わっても、引き寄せの本質そのものが別物になるわけではありません。
願いを思い描き、負の感情を解放し、自分なりの確信を育てて、行動を重ねていく。
この流れは、地の時代でも風の時代でも、変わらない軸として残り続けると僕は考えています。
一方で、社会の構造や情報の流れが変わったことで、同じ引き寄せでも「どう願うか」「何を基準に信じるか」は、見直しが必要になりました。
地の時代は、物や肩書きや立場を「持つこと」と「守ること」が重視される時代でした。
お金や仕事も、失わないために必死でしがみつく対象になりやすかったといえます。
それに対して、風の時代は、情報やつながりや個人の選択が前面に出てきた時代です。
お金は選択肢を広げる手段として、仕事は自分の価値を表現する場として、改めて意味を問われるようになりました。
同じ「お金が欲しい」という願いでも、「足りないから埋めたい」という発想なのか、「行動の自由度を上げたい」という発想なのかで、願いの質はまったく別のものになります。
風の時代の引き寄せでは、ここを丁寧に切り分けることが大事です。
また、情報の扱い方という点でも、風の時代にははっきりした特徴があります。
誰もが自由に発信できる反面、デマや極端な意見も混ざりやすく、政治の話題でもスピリチュアルの話題でも、誤った情報が簡単に広がるようになりました。
石破政権や高市内閣に関する憶測や、あの界隈と呼ばれる人たちの強い言葉に影響されてしまうのは、その一例だと思います。
こうした状況は、中世の日本で噂や流言が人々を動かしていた時代とも構造が似ています。
違うのは、拡散の速度と範囲が桁違いに大きいという点だけです。
だからこそ、風の時代では「誰が言っているか」だけを基準に信じることが、より危険になりました。
有名だから、フォロワーが多いから、スピリチュアルの世界で知られているから。
その理由だけで引き寄せの話や世界の見方を鵜呑みにするのは、自分の思考を手放してしまうことにつながります。
本当に必要なのは、「誰が言っているか」ではなく、「何を言っているか」を冷静に見る視点です。
内容が現実の生活とつながっているか。
自分の経験と照らしても納得できるか。
不安や怒りだけをあおっていないか。
こうした基準で見直していくことが、風の時代を生きるうえでの情報リテラシーになります。
引き寄せも同じで、「この人についていけば大丈夫」という発想からは一度距離を取りたいところです。
僕の言葉も含めて、「自分で考え、自分で選ぶ」という前提で扱ってもらえたらと思います。
歴史を振り返ると、1200年頃の日本も、今と同じように揺れる時代でした。
中央の権力が弱まり、地方の武士が力を持ち、誰が正しいのか分かりにくい状況が続きました。
噂や説話が人々の不安を刺激し、どの勢力につくかによって人生が大きく変わる時代でもありました。
2025年の僕たちもまた、別の形ではありますが、「分散」と「混乱」と「再構築」の流れの中にいます。
ここから何を学ぶかといえば、「流れに流されるだけの立場から、自分の立ち位置を決める側へ移る」ということだと思います。
風の時代の引き寄せは、願いを使って「自分の立つ場所」を決めていく作業に近いのかもしれません。
お金や仕事や人間関係の願いは、そのための具体的なピースです。
その上で、負の感情の解放も重要になってきます。
過去の経験と結びついた不安や恐怖や怒りが、願いと確信の間に入り込むと、どうしてもブレーキがかかってしまうからです。
誰でもできるメンタルセラピーは、そのブレーキとなっている負の感情を外していくための道具として、役に立つと考えています。
ただし、手法そのものがすべてを解決するわけではありません。
大事なのは、「どんな生き方をしたいのか」「そのために何を願うのか」という本音の部分とセットで使うことです。
もし、自分一人ではうまく整理できないと感じる場合は、個人サポートを使って、第三者と一緒に言葉にしていくのも一つの方法です。
風の時代は、風に流されて生きることもできますし、自分で風を読んで進むこともできます。
どちらを選ぶかは、誰かではなく、あなた自身の選択です。
引き寄せは、その選択に責任を持つための道具として使うこともできます。
時代がどう変わっても、願いの軸を自分の内側に置くこと。
そのうえで、情報や流れや制度を、道具としてどう使うかを考えていくこと。
それが、風の時代に引き寄せを活かしていく、一つの現実的な歩き方ではないかと僕は思っています。
あなたが更に幸せになるために
今回の記事がお役に立てば嬉しく思います。
なお具体的な話はあなたが何を引き寄せたいかによって変わってきます。
具体的なご相談は引き寄せセッションにて承ります。
最後までお読みいただき有り難うございます。
感謝感謝
引き寄せに関する疑問・質問・相談・セッション・講座の申し込みは下記フォームより気軽にメールください。
